私は地球からきたという挨拶
私は愛と憎しみの世界からきた
そこでは逃げることは運命のゆがみだった
そこでは死は生きるための糧(食料)だった
そこでは与えるものは聞くことのできない贈り物だった
私は二つに分けられた橋の国からやってきた
そしてそこの川は化学物質が潜んで(隠れて)いるところをちょうど流れていた
私は公害で空が汚れ監禁が唯一の解決策だった国からやってきた
貢献することが殺人だった世界
未熟は聞くことのできない声
私は王と大統領の国からやってきた
証拠のないことが真の制御(コントロール)になる場所
魂の自由
昔に戻るにつれて冷めていく
私はもはや存在しない国からきた
私は裕福でもあり貧乏でもある国からきた
豊富な食事と飢え
他の人たちが休日の夕食のときに肉が切られているが子供たちは飢えている場所
私は鉄砲やナイフのようなおもちゃが
子供の本当に喜ぶプレゼントになっている場所からきた
そこではサンタクロースの信じ方を教えてくれた
しかし決して自分自身信じる方法を教えてくれなかった
私はあなたを愛している
私は秩序と無秩序の国からきた
国境の横断は見てすぐに発砲することを意味していた
殺し屋の視界から安全なのは夜だった
私は倉庫の明かりで意識を取り戻した
どうしてみんなとうまくやっていくことができなかったのか?
私は世界からきた
もはや存在しない国からきた
私は二百年間も夏に数百万人の大行進があってそれぞれのドラマーに合わせて
歌を歌っていた世界からきた
(そこは)大多数の人は貧乏でほんの一握りの少数の人々が優先され
大人たちが一人寂しく死んでいく所で
売春が行われる世界(女子学生の秘密の会員制社交ダンスパーティ)
私は壁が破壊された国からきた 一方ではお墓が造られていた
地球温暖化は訴えている
最後の日は近い
しかし皆が無知のために誰にも届いていない(誰も聞くことができない)
何を身にまとおうと毒は皮膚に届く(何を着ようとも毒は髪に色を塗る)
そして大気圏 オゾンホールに穴をあける
もうこれ以上 破壊者(行為者)になりたくない
心配していたのは結果のみ
私は世界からきた
私は世界からきた
もはや存在しない国からきた
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歌詞中の科学物質について、(化学物質問題市民研究会HPを参考とした)
近年の先進国の代表であるアメリカでの人体に悪影響のある科学物質に対する予防と健康管理についてのレポート
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子どもの健康を守ることは EPA(アメリカ環境保護局) の統合的な使命の一部であり、EPA
は子どもが住み、学び、そして遊ぶ環境の改善について、下記を含む長足の進歩を成し遂げました。
a.. トラック、バスからのディーゼル排気汚染物質の削減。これにより、毎年数十万の子どもをぜん息の発作から守ることができる
b.. 有機リン系殺虫剤の使用に関する厳格な規制の採用。これらの殺虫剤には、穀物用や家の周りでのアジホスメチル、クロルピリホス、メチルパラチオン、そしてダイアジノンが含まれる
c.. 環境汚染物質からの暴露のリスクを削減するための未然防止措置。我々は産業側とともに遊戯施設にはもはやヒ素含有の防腐剤で処理した木材は使用しないことを確実にすることなどを含む
d.. 12の子どもの環境健康と疾病予防研究センターの設立。これは厚生省と共同で環境汚染物質と子どもの健康との関係の科学的な理解を深めるためのものである
e.. より健康な学級作りのための包括的な学校イニシアティブンの展開
f.. 喫煙のない家庭の誓いのキャンペーン実施。子どもを家庭での二次喫煙から守る
g.. 政府諸機関によるぜん息と鉛戦略連絡会議の設置と実施。低所得者層と少数人種/民族の子どもにしわ寄せされているぜん息の削減と幼児期の鉛汚染の排除を2010年までに達成する
h.. きれいな空イニシアティブの展開。二酸化硫黄、酸化窒素、そして発電所からの水銀の排出を約70%削減する。これによりぜん息発作と呼吸器系疾患の削減に役立つ
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以上は、2003年までのアメリカでの対策例であるが、先進国の代表で、かなりの努力をかけているのは理解できるが、まだまだ市民を100パーセント安心させられるほどには達しられていない。この状況から、発展途上の国々での科学物質に対しての意識の度合は容易に推測できる。 歌詞の通りの未来を回避するには、言葉だけでない地球全体規模の意識向上が求められる。私達の次の世代すらも生存が危ぶまれている近年、まず半歩、次に一歩と、意識を習慣に、常識に確実にしていくべきである。
3)参考文献
@NEW予防健康・公衆衛生学
A兵藤先生の授業プリント
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